2010年2月23日

子供の虐待事件に思うこと

とあるブログにちょっと偉そうなことを書いてしまった。
http://shokoshoko.blogspot.com/2010/02/blog-post_4703.html#comments

でも、いつも思うのだ。子供を捨てたり殺したりするぐらいなら、産まなければいいと。

「施設で育った」というと不幸なイメージが付きまとう。でも、本当に不幸だろうか? それを不幸と決めつけてるのは世の中の小説家で、テレビドラマの脚本家が、お涙頂戴の脚本の代表的なものとして「親のいない子供」と描くから、そうなってしまった。

むしろ、「親はなくても子は育つ」という旧来の諺があるように、子供は結構たくましい。

でも、動物の子供が産まれてすぐに立ちあがったり、数ヶ月したら大人と同様になっていくのと違って、人間はそれなりに成長するには数年かかる。その間は、親というか大人が面倒を見る必要がある生物なのだ。ある意味、非常に不完全な形で産まれてくると言えるのではないだろうか。

だから、大人が子供を(けっして、親が子供をではない)きちんと面倒を見るのは動物としての必要な義務なのだ。

虐待して死なせてしまうぐらいなら施設に預けたらいい。産んですぐに道路に捨てて死なせてしまうなら、せめて病院の前に捨てようよ。

いわゆる「痛いニュース」として、熊本の"赤ちゃんポスト"というのが話題になった。でも思う。子供を死なせてしまうよりもずっとましだと。

この赤ちゃんポストというシステム、実は日本のこのケースが発祥ではない。ドイツには2000年か存在していて、現在では80以上あるらしい。ドイツに滞在していたときに、施設に預けられる子供の数がものすごく増えてしまったが、乳幼児が親によって殺されるような痛ましい事件は減ったと聞いた。

鳩山首相の「友愛」や、亀井静香郵政・金融担当相の「経団連が家族間殺人を増やした」発言とかいろいろあるが、正直なところ、シンボリックな言葉をはやらそうとしたり、刺激的なことを言って注目をあつめようとしているだけで、本当に真剣に考えているとは思えない。

事業仕訳の際の科学や教育文化事業の軽視や、一連の政治家の金銭問題を見ていても、僕は、こんな風に思う。

一般的に日本では「勉強が出来る」と言われる子は弁護士を目指す。そして、医者の子供だけが医者になると言って過言じゃない。

そして、お金が大好きな人が政治家になる。政治家ですが貧乏です。嘘だ。衆議院議員に立候補するには、最低300万円の預託金がいる。比例代表にいたっては600万円だ。それだけのお金を、「ぽん」と出せるサラリーマン家庭はそうないし、「選挙に出馬する」という理由で銀行はお金を貸さない。

だから、日本では政治家は実質的に世襲だ。これはオーナー企業の社長が世襲なのと同じだ。世襲以外の道なんてほとんどないに等しい。

いろいろ書いてしまった。

だから何がいいたいんだって言われると困るんだが。もっと日本が住みやすい国になって欲しいと思うのだ。

僕はプログラマーというのを職業にしようと決めたときに1つだけ決めたことがある。それは、「兵器開発だけはしない」ということ。僕の頭は、平和や娯楽、人の生活を豊かにするために使おうと。

そして、自分が名を残すとか、そういうことではなく、自分の孫や曾孫、もっと先の祖先が、世の中に普通にあるなにかを見て、それを自分の祖先が作ったということを「へぇ」と思ってもらおう、そんな風に思って生きている。

僕の考え方は暑苦しいのだと思う。今風じゃないのだと思う。でも、今風なクールなんて、どうでもいい。僕にはクールなんて似合わないんだし。

最近、ブログにまじめなこと書きすぎだな(笑) また、もどのくだらないブログに戻ろう(笑)

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