11月9日に中学校の同窓会があったのだが。そこで、当時の美術の先生が、僕のことを書いてくれた絵を持ってきてくれた。
中学校1年生の時に美術を担当してくれていた先生が書いた13才の自分なのだ。
今の僕を知っている人たちならこんなことを書いたら驚くかもしれないが、この頃の僕は「ものを作る」ということが嫌いな子供だった。
絵も下手だったし、何より小学生のとき、芸術系の科目については1つも良い評価をされたこともなく「ものを作る楽しさ」みたいないものがわからないでいた。そんな僕がきまぐれに作ったある作品を松田先生は「ものすごく、君らしさが出ている。すごく良くできてるよ」って言ってくれたのである。
人生の中で「何かを作る」ということが「人に評価される」ことがうれしいことなのだということを知ったときだったなと思う。
当時の担任だった先生も、僕がこういうクリエーターうずまく世界で仕事をしているのは、ちょっと意外だったようだ。
思えば20代の後半で堅い仕事からいきなり「ゲーム会社」に転職したときも「自分の作ってもらったもので楽しんでもらえるってすばらしい仕事だな」と思って、誘われるままに転職した。
きっと向いていたのだろう。その後、どんな仕事をして、どんなものを作っていたかは、このブログを読むような人はたいてい知ってるだろうからあえて書かないけど(笑)
今でも、僕自身は絵は下手だ。だけど、ゲーム会社でかれこれ15年も制作の仕事をしていてプログラミング部門だけじゃなく、デザイン部門の担当もしていたし、今となってはデザインのクオリティに注文をつけたりすることもある。ゲームは芸術ではなくビジネスだけど、工業製品のように大量生産されるものじゃなく、人が丹精こめて作るという意味では、絵、音楽、映画などの芸術作品に近いと思っている。
おそらく中学の同級生たちからしたら、僕が、今現在、エンターテイメントの最先端に身を置いているのは変な感じがすると思う。でも、僕は、今、そういう場所にいて、新しい何かを生み出す仕事をしている。
正直なところ中学の同窓会なんて、30年近く会っていない人達の集団だったりもするので「誰だっけ?」って人も多かったんだけど、1時間もたてば、もう仲間に戻っているのである。公立の中学校なのに新設中学の1期生という特殊な環境も影響があったかもしれないなと思う。
当時の先生たちよりも、今の自分の方が年齢が上というのは不思議な感じですが、あの頃、先生たちが僕らに向きあってくれたように、自分も世の中に出していくものを通じて、何かを人に感じさせられたらいいなと思うのでありました。
同窓会の幹事さんたちはすごく大変そうだけど、また来年、そしてしばらくは同窓会が続くと良いなと思ったのでした。